ヨーロッパの典型的な建築として設計され、明治時代から多くの来賓をもてなしてきた、東京都港区に位置する高輪・貴賓館。この貴賓館722日〜88日までの間、東京2020オリンピックの開催に伴い、イタリア国立オリンピック委員会CONI)の公式ホスピタリティハウス『カーサ・イタリアCasa Italiaが設けられた。「イタリアの家」という意味を持つ『カーサ・イタリア』は、1984年にロサンゼルスオリンピックが開催された際、選手をもてなすホスピタリティハウスとして誕生した。近年はオリンピック期間中のホスピタリティハウスとしてだけではなく、イタリアが得意とするアート、デザインからサステナビリティに至るまで、様々なコンテンツを世界へ発信する拠点にもなっている。今回のコンセプトは、イタリア語で「驚異的なもの」という意味を持つ「ミラビリア」。これは、1500年〜1700年にかけてコレクターらが収集した芸術作品や自然物を展示する空間 「Wunderkammer (ドイツ語で「驚異の部屋」という意味)に由来している。このコンセプト通り、有名な芸術家やデザイナーによる作品の数々が、歴史ある貴賓館を華やかにイタリア色に染めた。

 ワカペディアの見るカーサ・イタリアと、レオナルド・フィオラヴァンティ

新型コロナウイルスの影響で年延期され、2021年に入っても状況が改善されず、開催ギリギリまで中止が囁かれていた、東京2020オリンピック。そんな中、感染対策に細心の注意を払うため、パーティーや夜遊びはもちろん、燃えるような一夏の出会いなんて許されないほどの、究極の慎みムードで開幕。選手村では一歩も外に出ることが許されなかったものの、遠い国・地域から遥々来日した選手たちは、オリンピック出場の他にも「GEISHAとの禁断の恋」や「日本刀を振り回すYAKUZA」、「眠らない街、東京で迷い込む『ロスト・イン・トランスレーション』の世界」等、きっと各々のイメージを膨らませながら日本を満喫したかったことだろう。もちろん選手村では、美味しい日本食や日本文化の様々なコンテンツが楽しめた上、お土産の購入スペースまであり、(この状況下で)最高の「お・も・て・な・し」は、選手達の疲れた心を癒したに違いない。それでも、競技のプレッシャーやストレスを発散したい時や、メダル受賞の喜びや感動を母国の同志達と分かち合いたい時。何より、イタリア人の命の源・マンマの味である本格イタリア料理に胃も心も優しく包まれたい時、関係者らはこぞって『カーサ・イタリア』に集まるのだった。もちろん、ワカペディアチームも毎日入り浸っていたことは言うまでもないけれど。

『カーサ・イタリア』内には、上品に装飾されたホテルの部屋に加え、イタリアのメディアが集まるプレスルーム、星付きレストランのシェフによる食事、バー、プレイルーム、競技の様子やメダルの受賞の映像を見るためのまるで映画館のようなシネマルームが設置されていた。そんな『カーサ・イタリア』で、今大会で初の公式種目となったサーフィン競技に、イタリア代表として唯一出場した選手、レオナルド・フィオラヴァンティ(Leonardo Fioravanti氏(愛称:レオ)に出会った。彼の強くなる秘訣や、激動の荒波を乗り越える方法は?ローマ出身の素朴な23歳、波乗りイタリアーノのインタビューが、多くの人の心に届きますように!

ワカペディア:チャオ!オリンピックを終えて、あなたの話を聞かせてくれる?今回、初めてサーフィンがオリンピック競技に加わったけれど、記念すべき初めてのオリンピック競技にイタリア代表として出場した気分は?

レオナルド: すごく嬉しいよ!オリンピックの正式競技に認定されたことで、競技としてのサーフィンをより多くの人に知ってもらえたし、ようやく公式な「スポーツ」として認めてもらえる気がするよ。四六時中サッカーの話でもちきりの国では、特にね(笑)サーフィンという種目で表彰台が設けられたことは感動的だったけど、同時に自分がその表彰台に立てなくてすごく悔しかったよ。でもサーフィン史上初のオリンピック正式競技に、イタリア代表として出場できたことは、とても光栄だったな。次のオリンピックで再挑戦するつもりだよ。

ワカペディア:期待してるね!ところで、レオのサーフィン人生はどんな風に始まったの?

レオナルド: ローマ郊外のチェルヴェーテリという小さな町にある「オーシャンサーフ」っていうサーフィン教室が始まりだったんだ。両親は、兄のマッテオと僕が小さい頃から、そこによく連れて行ってくれたのさ。「オーシャンサーフ」は、少人数のサーファーで構成されたグループで、アットホームな雰囲気の教室だったんだ。彼らのサーフィンに対するパッションに影響されて、10代はほぼ波の上で過ごしたよ(笑)僕にとってサーフィンは、色んな世界を見せてくれたスポーツであり、言葉では表現しきれない「人生の学校」みたいなものだね。

ワカペディア: 小い頃からサーフィン漬けだったんだね。私達もイタリア育ちだけど、周りの男の子はスポーツをするといえば、ほとんどサッカーだったな(笑)

レオナルド: あのマラドーナクリスティアーノ・ロナウドが所属していたこともあるくらいサッカーが強い国だし、みんな自国のサッカー文化を誇りに思うのは当然だよね(笑)でも僕は昔から、兄のマッテオみたいに上手くなりたい!っていう気持ちがサーフィンへのパッションをより強いものにしたんだ。小さい頃の男の子って、「お兄ちゃん」に憧れるものだよね(笑)

ワカペディア: 兄弟で切磋琢磨していたんだね!ちなみに、「イタリア人はサーフィンが下手」っていうイメージが浸透しているって聞いたんだけど、そのステレオタイプについてはどう思う?

レオナルド: そんなことはないよ。特に、自己アピールがこの上なく得意なイタリア人が、そんなイメージを放置するわけにいかないよね!(笑)僕は小さい頃からサーフィンの世界で育ったから、自分を国際的なプロサーファーだと思っているし、他国のサーファー達もちゃんと僕を彼らと同じアスリートの一人として認識してくれているよ。どこで生まれたかは問題じゃないけど、確かに「イタリア出身だ」って言うと驚かれることはあるかな(笑)

ワカペディア:さすがアスリートの世界!今はその実力が世界的に認められているレオだけど、ここに辿り着くまでに苦労したことは?

レオナルド: 17歳の時、ハワイで背中に全治ヶ月位の大けがを負った時かな。ヨーロッパに戻って大掛かりな手術をすることになったけど、まだ17歳で大きな怪我をしたことがなかったから、すごく戸惑ったよ。ヶ月間全くサーフィンができなかったんだけど、頭がおかしくなっちゃうかと思ったよ。でもその期間、サーフィンがどれだけ自分にとって大切かを身に染みて感じたのさ。怪我をする前より、もっと強くなってサーフボードの上に戻るために、出来る限りのことは全てやったんだ。物事が起きるのには理由があるんだよ。この経験がなければ、確実に僕の人生は大きく変わっていたと思うな。怪我が自分を強くしてくれたし、目指しているゴールに到達するために、立ち止まらずに前進する力をくれたんだ。もちろん、その目標のさらなる先を目指す勇気もね。

ワカペディア:すごいね!私なんて、大切な映画の撮影(詳しくはこちらから)週間前に、気合を入れようと踊りに行ったクラブで転んで骨折した時、「世界の終わりだ」って病院のベッドで大号泣したのに(笑)大きな波に立ち向かっていく時、どうしたら恐怖を感じずに入られるの?

レオナルド:実は、大きい波ほどワクワクするんだ!怖い気持ちは確かにあるけど、それ以上に「恐れ」を「興奮」に変えてくれるアドレナリンが沢山出るのさ。その感覚がたまらなく好きで、 また味わいたい!って、夢中になるんだ。それに恐れを克服することは、人生においてもとても重要なことだよね。避けずに、自分なりの方法でどうコントロールするのかが、大切ってことさ。

ワカペディア:確かに、スリルすら楽しめるようになったら、人生の様々な困難も乗り越えられる気がするね。ところで、日本についてはどう思う?お決まりの質問だけど、日本で出会ったからには、聞かないわけにはいかないからさ(笑)

レオナルド: すごくクールだし、ご飯も美味しいし、文化がとてもユニークで大好きだよ。残念ながら日本の波は最高とは言えないけれど、競技中はわずかながら波があってラッキーだったよ!ローマでよく言う、「無いよりはマシ」っていうのかな(笑)

ワカペディア: 今はハワイ南フランスの街、ビアリッツ付近の海岸など、最高の波を求めて世界中を旅しているって聞いたけど、(新型コロナウイルスの影響も含め)家族に会えず寂しくならないの?

レオナルド: 第二の故郷とも言えるほど頻繁に滞在しているハワイには、最愛の彼女、ソフィアがいて僕の心の支えなんだ。ローマにいる家族にはなかなか会いに行けないから、寂しく思うことはあるけれど、小さい頃から夢見てきた仕事をしているからね。それがどれだけ恵まれたことなのか、自覚しているよ。僕にとってはこれ以上の人生なんてないと思っているし、何かを手に入れたい時、全てを手に入れるんじゃなく、時には我慢することも必要なのさ。

ワカペディア寂しくなった時は、家に帰ろう。それこそ『カーサ・イタリア(和訳:イタリアの家)』!次のオリンピックで会えるのを楽しみにしているね!

サーフィンを心から愛する若き波乗りプリンスに、何かに没頭する情熱の尊さや世の中の荒波を乗り越える方法を、あらためて教えてもらったワカペディア。アップダウンが激しいパンデミックの海原も、これならきっと乗り越えられるはず。その時はもちろん、次の波に乗って。

Description & Interview: Sara Waka

Edited by: Wakapedia Japanese Team