1959年に福岡県で生まれた柳幸典(Yukinori YANAGI)は、政治や国家のイデオロギーや民族のアイデンティティ等、社会の構造や問題に関する幅広いテーマに取り組んできた現代美術アーティスト。1986年からアリを用いた作品やフンコロガシの動きを取り入れた作品を制作し、美術の枠を超えた「移動」というテーマで活動を展開。武蔵野美術大学大学院造形研究科修了後、1988年に渡米し、イエール大学大学院美術学部彫刻科を修了。1993年のヴェネチア・ビエンナーレではインスタレーション「The World Flag Ant Farm」を発表し、日本人初のアペルト部門受賞。1995年には「犬島プロジェクト」を始動し、瀬戸内海にある犬島の産業遺構をアートで再生させる取り組みや、尾道市百島ではリノベーションした廃校を「ART BASE MOMOSHIMA」と名付け、アート拠点にすることで、地域社会との新たな関わり方を追求した。2008年には「犬島精錬所美術館」を開館し、歴史と現代の創造性を結びつけるプロジェクトを展開。近年も世界各地の国際展で精力的に作品を発表する他、現在は韓国の安佐島に、柳幸典率いるチーム「YANAGI + ART BASE」が設計した水上美術館を開館すべく、国境を越えて活動を展開している。

ワカペディアの見る柳幸典

久々のイタリア長期滞在で、納豆が恋しくなり始めた3月末。世界的なアーティストの柳幸典氏が、ヨーロッパ初となる回顧展「ICARUS」を2025年3月27日~7月27日にミラノ郊外で開催していると知り、大ファンのワカぺディアチームは大興奮!

回顧展「ICARUS」の会場、ピレリ・ハンガービコッカは、ワカペディアチームの師匠でもあるマウリツィオ・カテラン(Maurizio Cattelan)Breath Ghosts Blind (和訳:呼吸、幽霊、盲目)」展を行った特別な場所だ。期待を胸に向かうと、見たことないほどの長蛇の列!ディズニーのスプラッシュマウンテンですら並びたがらないワカペディアチームは、思わずその場に崩れ落ちそうになる中、普段は待つことを嫌うイタリア人までもが列を作るその光景に、柳幸典というアーティストの魅力を再認識した。

ワカぺディアチームが彼の作品に触れるのは、瀬戸内海・犬島の美術館を訪れた時以来だ。ようやく会場に入り、圧倒的なアートの世界観に没頭していると、まるで小田和正氏を彷彿とさせるような優しい瞳と強い色気、そして漢気をまとった男性が目に入った。

「あれ・・・?柳幸典さんだ!」

話が出来るだけでも嬉しいのに、その後気さくにインタビューにまで応じてくれるとは。

この瞬間、ワカぺディアチームの脳内では「ラブ・ストーリーは突然に」が流れ出し、柳氏の作品を知るにつれて、(かつて某ドラマを見るために東京の街からビジネスウーマンが消えた社会現象のように)この展示をひと目見ようと、アート愛好家がミラノの中心街から姿を消した理由が分かった気がした!

ワカペディア:大盛況の中、お時間いただきありがとうございます!お忙しいと思うので、早速インタビューさせてください。ゴジラやウルトラマンが登場する遊び心満載のアート作品を手掛ける柳さんの幼少期は、どんな子でしたか?そしてその経験は、どのように今の作品作りに影響を与えていますか?

柳幸典子供の頃は悪戯ばっかりして、よく反省文を書かされてたなぁ(笑) 学校で勉強するより、野山で自然と遊ぶ方が好きだったんだよね。昆虫や動物、火や水や土などの自然のエレメントは小さい頃から慣れ親しんだ素材だったから、それらは自ずと表現するための「言語」になっていたよ。そういう子供の頃の表現言語が、大人になるにつれて「社会」というフレームに出会うことで、国境や国家、歴史との関係性を図ることになっていったんだと思う。

ワカペディア:幼少期から自然の中で培ってきた感覚は大切ですね!ってことは、私達が子供の頃、ダンゴムシを集めるのに夢中になっていたあの好奇心も、どこかで活きてるのかも?(笑)それはさておき、世界へ踏み出す第一歩としてイエール大学で学ばれましたが、その経験は柳さんのアーティスト人生、そして自身の作品にどのような影響をもたらしましたか?

柳幸典イエールは総合大学だから、数学者や科学者など他分野の人達と交流することで、刺激を受けたよ。日本では文系と理系が区別されているけれど、むしろそれが知識の偏りを招いているようにも思うんだ。イエール大学院は、芸術学部と建築学部が同じ建物にあって、それらを総合的な芸術として捉えていると感じたな。特に、建築学部で行われたフランク・ゲーリーの授業では、アーティストと建築家がコラボレーションする授業があって、とても刺激的な経験だったよ。アーティストは作品を成立させる空間や環境について考えるべきだし、建築家はアートを単にデザインされた箱に飾るインテリアとして捉えるべきではないと思うんだ。

ワカペディア:あのルイ・ヴィトン財団美術館ビルバオ・グッゲンハイム美術館を手がけた、フランク・ゲーリー?!彼の建築って、実用的な建築物という枠組みを超えて、アートの本質的要素を体現している感じですよね。まるで建築とアートの境地!そんな様々な経験をしてきた柳さんですが、今回の展示「ICARUS」について詳しく教えてください。

柳幸典ICARUS」というタイトルは、ギリシャ神話のイカロスが由来だよ。彼は蜜蝋で固められた翼で自由に空を飛ぶも、太陽に近づきすぎて蝋が溶け、翼を失い、海に墜落して命を落とすという話なんだ。

ワカペディア:まるで、人間の傲慢さに対する警告のようにも見えますね。そういえば、犬島精錬所美術館でも「Icarus Cell」というタイトルの作品を見た気がします!

柳幸典よく覚えているね!犬島精錬所美術館は、三島由紀夫の「理想の追求とその代償」という哲学と、ギリシャ神話の「イカロス」を融合させた空間作品なんだ。かつて日本の近代化を支えた犬島製錬所は、これまで人口減少と高齢化が進む産業遺産だったけれど、建築との協働で再構築され、新たなアートの場へと生まれ変わったんだ。

その重要なインスピレーションの一つとなったのが、三島由紀夫の自伝『太陽と鋼』(1968年)に収められた長詩「イカロス」だよ。彼が自衛隊の戦闘機に搭乗した時、即興で綴ったとか。この詩は人間の限界と理想の追求というテーマに深く結びついていて、今回の展示では、「イカロス」という概念を核に、過去の作品と最新作を組み合わせた構成になってるんだ。

ワカペディア:なるほど、哲学的ですね。海外の根強い三島由紀夫ファンも喜びそう!ところで、このピレリ・ハンガービコッカで展示をするにあたり、インスピレーションを受けたきっかけはありましたか?

柳幸典かつて犬島の産業遺構を見た時、地下の迷宮の塔から飛び立ったイカロスを連想したんだ。鉄工場を改装して現代アートの展示スペースとして生まれ変わったピレリ・ハンガービコッカ大空間を見た時にも、産業遺構としての「ゲニウス・ロキ(Genius Loci)」(ラテン語で「場所の精霊」や「土地の魂」を意味する概念)を直感したんだ。それで今回の個展のタイトルも「ICARUS」にしたんだよ。

ワカペディア:そうだったんですね!確かに、柳さんのアートのコンセプトにピッタリな場所!今回の展示作品の中では、そのテーマをどのように表現されているんですか?

柳幸典科学技術による近代化の先の戦争、その結末として原子爆弾が落ちたことは、太陽(神)に近づきすぎて墜落したイカロスの姿を彷彿とさせるように思うんだ。人類は手にしたテクノロジーをどう活用すべきかを問いながら、死者という声亡き者の声に耳を傾ける必要があると思う。歴史は現在を生きている人間の視点で作られるけど、本当の歴史は、死者こそが語れるものだからこそ、そのメッセージを聞き取ろうとする不断の努力が必要だと思うんだ。今回の作品には、そんな思いが込められているよ。
そして憲法9条の条文をネオン管で分解・配置したインスタレーションでは、憲法9条が掲げる「戦争放棄」という理念が、現代の国際情勢の中でどのように機能しているのか、国家の記憶や統治の正当性を問い直す試みとなっているよ。「The World Flag Ant Farm」では、砂で描いた国旗をアリが侵食する様子を通して、国家やアイデンティティの流動性を示唆してるんだ。今、まさに世界で起きている悲劇の意味を問いながら、展示を通じて死者=歴史のメッセージが届くことを願っているよ

ワカペディア:おっしゃる通り、世界では日々悲惨な出来事が続いていますが、私たちを含め、日本では戦争を経験していない世代が人口の大半ですよね。若者の政治離れも囁かれる今、アートは社会に対してどのような役割を果たしてくれると思いますか?

柳幸典作品の中で繰り返し登場する「Wandering Position さまよえる位置」という概念は、フレームの中でアリの軌跡をひたすら追い続けるという瞑想的な行為から生まれたんだ。

この構図の中では、追われているアリはとても小さな存在で、自分を追う「私」の存在があまりにも巨大なため、その追跡に気づいていないんだ。でも同時に、追う側の「私」自身も、何か自分よりさらに巨大なシステムに追われているのではないか、という暗喩が浮かび上がる。こうやってアートは視点を広げたり、私たちの立場を相対化しながら、見えていなかった構造や関係性に気づかせてくれるんだよ。

ワカペディア:柳さんの視点、すごく面白い!最後に一つ質問です!柳さんにとって、アートとは?

柳幸典僕は少年期に、フランスの海洋学者ジャック=イヴ・クストーが率いる探検チームの調査船カリプソ号のドキュメンタリー「クストーの海底世界」を見て、探検家に憧れたんだ。そして青年期には、20世紀を代表する革命家チェ・ゲバラに憧れた。僕にとってアートとの出会いは、それらの延長線上にあるように思うんだ。

「アート」というと、どこか難しく感じてしまうかもしれない。でもその本質は、子供の頃の純粋な情熱や疑問だったり、もっと身近なところに散らばっているものなのかも。

入館するまで長時間待ってたことや、歩き疲れた脚のことなんてすっかり忘れて、胸のどこか奥で眠っていた冒険心がもう一度芽生え始めたワカぺディアチーム。
赤と白の象徴が静かに響く空間を後にし、小田和正の「たしかなこと」を口ずさみながら、私達はミラノの中心街に戻った。

 

Description & Interview: Sara Waka

Edited by: Wakapedia Japanese Team