「アートの祭典」とも呼ばれ、2年に一度開催される世界で最も長い歴史を持つ国際美術展、ヴェネツィア・ビエンナーレ。2019年に開催以降(前回のビエンナーレに関する記事はこちら)パンデミックの影響でしばらく延期されたが、今年は3年越しに開催が決まった。開催直前にロシアによるウクライナへの侵攻が始まるなど、様々な問題を抱えながらも、11月27日まで開催中だ。
待望の第59回ヴェネツィア・ビエンナーレのキュレーターに選ばれたのは、ニューヨークを拠点に活動するチェチリア・アレマーニ。ビエンナーレの長い歴史の中で、イタリア人女性がキュレーターに就任するのは今回が初めてだそう。気になる今回のテーマは、『The Milk of Dreams』。夢のミルクって、何だろう?なんだか怪しい響き、フゥ〜!
余計な妄想はさておき、『The Milk of Dreams』は、シュルレアリスムの女性画家・小説家として活躍したレオノーラ・キャリントンの一連のデッサン作品や絵本に由来したテーマだ。キュレーターであるチェチリアは、「(シュルレアリスムの芸術家は)想像力というレンズを通して、絶えず心で人生を想像し続けるという魔法の世界を描いています。それは誰もが変化・変身し、別の誰かや何かになることができる世界なのです。」と言った。クローン技術の開発やIT化が進む一方で、パンデミックや戦争による脅威など、命のあり方について考えさせられることが多くなった現代。今回のヴェネツィア・ビエンナーレでは、そんな私たちに対して、「身体の表現とその変容」、「個人とテクノロジーの関係」、「身体と地球のつながり」という3つのテーマで問いかけている。
メイン会場となるジャルディーニとアルセナーレでは、80カ国・地域のパビリオンがそれぞれ見ごたえ満載の展示をしている。全部の展示を見るためには、2日間あっても足りそうにないボリュームの中、普段お目にかかれない各国・地域の美術作品を鑑賞できるだけでなく、(冷房があまり普及していない)灼熱の夏を迎えるイタリアで、つかの間の冷房休憩も取れる。でも待って、すべてのパビリオンを回るとしたら、スプリッツ(イタリアでお馴染みのカンパリベースのカクテル)で何回休憩すればいいの?全部見終わる前には泥酔しちゃう!と思ったそこのあなた。ワカペディアが選んだ7つのパビリオンをチェックして、短時間でビエンナーレを満喫しよう!
ジャン・マリア・トサッティ
『History of Night and Destiny of Comets (夜の歴史と彗星の運命)』(イタリア館・アルセナーレ)
「シーッ!静かに!」イタリア館の展示は、観客が一人一人静かに見学するインスタレーションだから、うっかりするとそんなことを言われるかもしれない。近年よく見られるテクノロジーを駆使した、没入型のイマーシブ・インスタレーションとは異なり、細部まで作り込まれたリアルな映画のセットのような、臨場感あふれる展示だ。舞台となるのは、戦後のイタリアで巻き起こった産業革命の跡が残る、薄暗い廃工場。広大なスペースには、大量生産を思わせる年季の入ったミシンがズラリと並んだ部屋や、埃が積もったベルトコンベヤに加え、当時の労働者が使用していた寝室が残されている。錆び付いた扉の音や床のきしむ音までもが聞こえてくるような、物悲しいセクションを抜けると、暗闇の中、蛍のような光がポツポツと灯る空間に辿り着く。一連の展示の中で、アーティストのジャン・マリア・トサッティは、パンデミックがもたらす結果や、現代社会の経済発展、そして人間と自然が関わる中で直面している問題について、私たちに問いかける。展覧会の最後には、暗闇の中に浮かび上がるかすかな光の筋が目に入るだろう。それは彗星であり、私たち人間と同じように宇宙を渡りながら、一瞬だけ空を照らすのだ。
フランシス・アリス
『Children’s Games(子供達の遊び)』(ベルギー館・ジャルディーニ)
ベルギー館に足を踏み入れると、 学校の休み時間へタイムスリップしたかのような錯覚を覚えるかもしれない。フランシス・アリスが1990年代に撮影を開始した「子供の遊び」シリーズの映像を放映する様々なスクリーンから、楽しげな歓声や子供の笑い声が聞こえてくる、なんとも微笑ましい空間だ。ベルギーから香港、コンゴやスイスを経て、彼のレンズは世界中の何十人もの子供たちによる、自然で無邪気な「遊び」を追ってきた。「遊び」とは、私たちの個性を構築する上で基礎となる、重要な活動の一つだ。そしてこの「遊び」とは、いつの時代も、どこの国においても、どんな状況下でも常に存在してきた。カタツムリレース、雪合戦、横断歩道の白線渡りや、古いタイヤの中に入って行う崖下り。このショートフィルムの魅力は、その自発性とシンプルさにある。一見たわいもない映像に感じられるかもしれないが、そこには、幸せになるための真実が隠されていることに気づくだろう。そう、幸せになるために必要なことは、「子供に戻ること」なのだ!
ウッフェ・イソロット
『We Walked the Earth (私たちは地球を歩いた)』(デンマーク館・ジャルディーニ)
最高のパビリオンではないかもしれないけれど、一番インスタ映えする(であろう)パビリオンがある。真夏のリゾートとは一味違うユニークな投稿をしたいのなら、ワカペディア一押しのデンマーク館をチェックして欲しい。そこには、アーティストのウッフェ・イソロットによる、デンマークの昔ながらの農場と奇妙なSF要素が混ざり合った、異次元な世界観が広がっている。この展示で繰り広げられているのは、3人のケンタウロス(ギリシア神話に登場する、下半身が馬で上半身が人間の怪物)の家族にフォーカスした、生と死のドラマだ。黒い干し草や腐った果物、臓器、排泄物などが散乱する二つのメインルームのうち、一つの部屋では、雄のケンタウロスが、天井からだらりと首を吊っている。隣の部屋には、雌のケンタウロスが青い胎盤に包まれたハイブリッドベイビーを出産し、青白い顔で地面に横たわっている。実父の自殺をきっかけに、作者はこの展示で、父親の死と新しい命の誕生を隣り合わせにしながら「生と死の苦悩の劇場」を描く。インパクトが絶大で肝がひんやりするとは、このことかもしれない・・・
アディナ・ピンティリー
『You Are Another Me – A Cathedral of the Body(あなたはもう一人の私 –身体の大聖堂)』(ルーマニア館・ジャルディーニ)
18歳以下の未成年が入場することが出来ない展示は、ルーマニア館だ。間違いなく、今回のビエンナーレで最も挑発的な作品の一つだろう。アーティストであり映画監督でもあるアディナ・ピンティリエが手がけた展示は、暗闇の中に浮かぶスクリーンに、『You Are Another Me – A Cathedral of the Body(あなたはもう一人の私 –身体の大聖堂)』が大画面で上映されている。これは、2018年ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した、アディナ・ピンティリエの長編映画『Touch Me Not(タッチ・ミー・ノット)』の一部を、ビデオインスタレーションにしたものだ。
映像には同性愛者のカップル、障害者の活動家、トランスジェンダーのセックスワーカー等が裸で登場し、踊り、叫び、食事をし、ハグをするなど、親密なスキンシップをとる様子などが捉えられている。ミニマルでテクノロジーにあふれた冷たい印象の空間と、動画の持つ温かい人間性、率直さ、素朴さが対照的だ。自分が誰であるか、自分の身体をどうするかという一人一人の自由を脅かし得る社会の中で、この作品は年齢、性別、性的指向の違いを超えて、個人と個人のつながりを祝福しているようだ。
ジネブ・セディラ
『Les rêves n’ont pas de titre(夢には題名がない)』(フランス館・ジャルディーニ)
ハリウッドさながらの映画セットがお出迎えしてくれるのは、フランス館だ。アルジェリア系アーティスト、ジネブ・セディラによる、大規模なインスタレーションだ。フランスとアルジェリアには、かねてから植民地主義をめぐる複雑な歴史がある。両国をバックグラウンドに持つ彼女は、自伝、フィクション、ドキュメンタリーを用いて、自身の家族とコミュニティの歴史を60年代と70年代の政治的映画に絡めて作成した。展示内では、アルジェリア戦争を扱った映像や、実際の映画のセット、南西ロンドンの移民が集まるエリアにある、彼女が生活するアパートのリビングルーム、ノスタルジックな雰囲気に包まれたダンスホールやビストロなど(沢山のストリングライトが華やかで素敵!)、現実を抜け出して映画の世界へいざなう。彼女にとってこれらは、社会に求められる移民としての役割や枠組みから逃げ出すだけでなく、タイトルもなければリミットもない世界の中で、新たな自分を自由に想像し、反映できる「夢」のようなツールだったのかもしれない。
ルーツであるアルジェリア、生まれ育ったフランス、そして移民として生活するロンドンで養われた複合的な視点により、ポスト植民地主義や移民問題等、現代にも関連するテーマを独創的かつ詩的に扱ったことが評価され、この展示は審査員特別賞を受賞した。
ララ・フルクサ
『Catalonia in Venice_LLIM』 (カタルーニャ館・ヴェネチア市街)
カタルーニャ館は他のパビリオンとは違い、ちょっと特別だ。カタルーニャは、バルセロナを州都とするスペインの自治州で、長年スペインからの独立を巡り話題になっている。国としては承認されていないが、州の名前を掲げて展示を行えるのも、このヴェネツィア・ビエンナーレならでは。そんなカタルーニャ館のインスタレーションは、水とガラスとの関係にスポットライトを当てた、『Catalonia in Venice_LLIM』だ。
13世紀の水の都ヴェネチアは、ヨーロッパにおけるガラス産業の中心地として栄え、水とガラスは、ヴェネチアの歴史において重要な役割を果たしてきた。ガラスを専門に扱い、水との関係性や生態系のバランスを追求する作者が、ヴェネチアの土地の性質を取り入れて出来上がった展示だ。タイトルの「LLIM」は、沈泥(ちんでい:砂より小さく、粘土より粗い砕屑物のこと)という意味だ。水質汚染が囁かれてきたヴェネチアの運河から水を汲み上げ、パビリオンの中に巡らされた美しく繊細なガラスのチューブを循環し、オイル等の液体と交わることで、まるでミルクのように乳化される。やがて水の中に混ざっていた不純物が除去され、透き通った綺麗な水が蘇り、ヴェネチアの水路に戻るという仕組みになっている。この土地に根付く文化を活かし、環境保護にも通じるインスタレーションから、デジタル化が進む現代において忘れてしまいがちな、自然と文化の共存がいかに大切かを見つめ直すきっかけを与えてくれる。まるで「希望への道」にも思えるような数々のガラス管をくぐり抜け、汚染水が乳化液へ、そして乳化液が綺麗な水へと姿を変えていく。まさにミルク•オブ・ドリームズ、ここにあり?
マウゴジャータ・ミルガ=タス
『Re-enchanting the World (世界を再び魅惑する)』(ポーランド館・ジャルディーニ)
イタリア美術の名作に新たな息吹を吹き込んだのが、ポーランド館の展示を手がけた、ポーランド系ロマ人アーティストのマウゴジャータ・ミルガ=タスだ。ロマはジプシーとも呼ばれ、主に東ヨーロッパを中心に暮らす移動型民族を指す。彼らは古くから差別の対象として、(ユダヤ人と同様に)迫害を受けてきたヨーロッパ最大の少数民族としても知られている。ロマにルーツを持つアーティストとして、ビエンナーレの国家代表として選ばれたのは、彼女が初めてだそう。今回の展示では、ルネッサンスを代表する古典主義の寓話が描かれたフレスコ画を、ロマ民族とその伝統に置き換え、色彩豊かなパッチワークの巨大タペストリーとして再現した。そこにはロマ民族の神話的な叙事詩、食事の支度や冠婚葬祭の様子など、ありふれた生活のワンシーンが表現されている。(このパッチワークに使用されている布は、彼女のロマの親族等が、実際に着ていた衣服を使用したものだそう!)ロマという社会的に虐げられてきたヨーロッパ最大の少数民族の存在を、現代的そして肯定的に表現した展示だ。
会場に一歩踏み入れたら、豊かな色使いとポップなイラストに目を奪われるだろう。でもこのパビリオンで私達が真に学ぶべきことは、「アートには、歴史を塗り替える力がある」ということなのかもしれない。
Description: Sara Waka
Edited by: Wakapedia Japan Team