1982年に韓国で生まれ、アジア料理と深い繋がりがある発酵食材を取り入れた料理と、国際的なファインダイニングの技術を融合させた韓国系アメリカ人のシェフ、アン・ソンジェ(Anh Sung-jae。海外ではSung Anhの名で知られている)。12歳の時に韓国を離れカリフォルニアに移住し、中華料理店を経営していた両親の元で育つ。アメリカ陸軍に従軍しイラクに派兵された後、ポルシェの整備士を目指していたが、料理学校との偶然の出会いがきっかけとなり、シェフを志す。アメリカ、韓国、日本にあるミシュランの星付きレストランで経験を積んだ後、2015年にはサンフランシスコに、最初のレストラン「MOSU」を開店。レストラン名は、「コスモスの花」を意味する韓国語の「コスモス」から名付けられた。その後レストランを韓国に移転すると、2023年と2024年にミシュランの三つ星を獲得。韓国出身のミシュランシェフの先駆者として、多くの料理イベントやテレビ番組にも参加しており、Netflixの人気シリーズ「白と黒のスプーン~料理階級戦争~(Culinary Class Wars)」(2024年の9月17日~10月8日)では審査員の一人を務めるなど、韓国で唯一の三ツ星レストランとして、その名を轟かせている。
WAKAPEDIA’S SUNG ANH
例え東京にいても、祖国イタリアの血が騒ぐワカペディアチーム。イタリア生まれでありながら、ブルガリ銀座タワーのエグゼクティブシェフを務めるルカ・ファンティン(Luca Fantin)が作る料理は、特別な日を彩るだけでなく、ワカペディアチームがホームシックになった時に駆けつけるラグジュアリーなサバイバルフーズ、トップ3に入っている。過去にワカペディアがインタビューしたシェフ、カルロ・クラッコ氏やグアルティエーロ・マルケージ氏の名門レストランで修行を積んだ彼は、イタリア料理を現代的に解釈し、日本の季節の食材の豊かさを組み合わせた料理で知られている。
今回、そんなルカ・ファンティンシェフが、今大注目のアン・ソンジェシェフとのコラボレーションディナーに招待してくれたのだ!尊敬する二人のシェフに会える喜びと、大好きな料理が交わる想像でよだれが止まらなくなりながら、ブルガリ イル・リストランテに向かった。ルカ氏は日本の食材とイタリアの風味を見事に組み合わせ、アン氏は自身のルーツである韓国料理に忠実でありながら、その創造性と現代料理の大胆さに私たちは驚いた。(キムチとモダン料理のコラボはまさに芸術!)これこそ、異なる文化の見事な対話と調和が織り成す、洗練された国際的な食のアートだ!
食後には、シェフ達と話す機会に恵まれた。アン氏の多彩な人生経験と壮大なストーリーに引き込まれ、もっと知りたいと思わされたワカペディアチーム。さぁ、シェフ達の物語を一緒に味わおう!ダイエットは明日から!
ワカペディア : お忙しい中、お時間を頂きありがとうございます!こんなに素晴らしいディナーを用意していただいた後なので、お疲れですよね。長くは話さないのでご安心ください!(笑)最初に、お二人のこれまでの経歴について教えてください。アン・ソンジェさんからお願いします!
アン・ソンジェ: 難しい質問だね。長い話になるけれど、ウイスキーを一杯もらえれば全部話しますよ!(笑)どこから始めればいいのか分からないけれど、人生には時々成り行きで起こることがあるよね。子供の頃はシェフになるなんて考えたこともなかったよ。10代でアメリカに移住したけれど、現地に馴染むのは容易ではなかったし、家族と一緒に生活を立て直すために沢山の困難に直面したんだ。高校を卒業した時、大学には行かないと決めていたから、アメリカ陸軍に応募して、イラクに派遣されたよ。
ワカペディア : イラクに?!険しい道を選んだんですね・・・
アン・ソンジェ: 実は、両親にも内緒だったんだ。
ワカペディア : もし知っていたら、全力で止めていたかも。イラクから帰国した後はどうしたんですか?
アン・ソンジェ: 車やレースが好きだったから、カリフォルニアに戻ったら車の整備士になろうと思って、専門学校に入学したよ。
ワカペディア : 整備士?!全然想像できない!
アン・ソンジェ: やっぱり?でもまだ続きがあるんだよ!(笑)
ワカペディア : おっと、失礼。あまりに興味が湧きすぎて、先走っちゃいました!(笑)
アン・ソンジェ: あはは、それはありがとう!ウイスキーが進んじゃうね(笑)運命は不思議なもので、整備士の学校が始まる一週間前、運転していたら料理学校に通う若いシェフたちを見かけたんだ。その時はこの仕事について何も知らなかったけれど、彼らの清潔なジャケットや格子柄のパンツに魅了されたんだ。当時24歳で、料理には全く興味がなかったんだけれど、その日は強烈な感情を感じて、まるでこれが自分の天職であると何かに導かれたような気がしたんだ!それで翌日、すぐに専門学校の入学を取り消して、シェフになろうと決めたんだ。僕の目に彼らの姿は、最高にまぶしく映ったんだよ。
ワカペディア : すごい決断力!軍隊での経験や整備士への情熱が、料理に影響を与えたと思いますか?
アン・ソンジェ: 人生のすべてのことは、意識的にせよ無意識にせよ、個人の成長に影響を与えるし、それがひいては料理にも反映されると思うんだ。だから僕の料理には、成功するために努力した移民としての自分、エンジンを分解して動かす整備士としての自分、戦地に赴く兵士としての自分、そして今の自分という全てが存在していると思う。料理をするには決断力、勇気、忍耐力が必要なんだ。だから、僕の人生における一歩一歩が、自分をシェフにしたと言えるだろうね。
ワカペディア : なるほど!ちなみにルカはどうですか?アンシェフの話と共通点はあるのか、それとも全く違う道でしたか?
ルカ・ファンティン: 僕の道のりは彼とは全く違うけれど、成功するためには勇気と決断力が重要という点では同意するね。人生では誰でも望むものになれるとは思うけれど、それには明確な方向性が必要なんだ。例えば、僕は若い頃マラソンをやりたいと思っていたけれど、練習する時間がほとんどなかったから、成功するかどうかも分からなかった。最初のマラソンはゆっくり走って疲れ果てたけれど、次はもっと速く走れるようになって、その後時間が経つにつれて、どんどん改善していったんだ。シェフになることも、同じような道のりだよ!
ワカペディア : シェフになると決めたのはいつだったんですか?
ルカ・ファンティン: 18歳の時にラグビーをしていて、プロの選手になるか別の道を見つけるかを決めなければいけなかったんだけど、最終的に僕が魅了されたのは料理だったんだ。母がとても料理上手だったこともあるんだけどね!ホテル関係の専門学校に通いながら、ミシュランのレストランで働く機会を得て、そこでオート・キュイジーヌ(高級フランス料理)に恋をしたんだ。最高の食材に興味を持ちながら、ミシェル・ブラスやアラン・デュカスのような偉大なシェフを尊敬していたんだ。長年の努力の末、今ではそのシェフたちが私のレストランに食べに来てくれるようになったよ。長年の努力と犠牲のおかげで、夢が叶ったようなものさ。たとえ何も保証がなくても、本当に望むものがあれば、最終的には必ず達成できると信じているんだ。サッカー選手になりたいと言う10歳の息子にも、同じことを言っているよ。
ワカペディア : サッカー選手だなんて、流石イタリア人!親近感が湧いてくる(笑)冗談はさておき、素晴らしいお父さんね!さて、もう一つお二人に質問です。日本料理の好きなところはありますか?
アン・ソンジェ: 食材の質と細部へのこだわり、卓越された味のバランスかな。
ルカ・ファンティン: 季節感のある食材が重要なところかな。僕の料理のビジョンに欠かせない要素なんだ。
ワカペディア : なるほど!ちなみにアンシェフは韓国出身ですが、日本料理や文化に影響を受けたことはありますか?
アン・ソンジェ: よく聞かれる質問だね。答えるためには家族の歴史について話さないといけないね。僕の祖父母は韓国が日本に併合されていた時代を生きていたから、当時は日本の文化や言語を学ぶことを強いられていたんだ。だから僕が育った時、祖父母が日本語を話し、日本料理を作ることは自然なことだったんだ。祖母はよく「きんぴら」を作ってくれたね。それが僕の文化であり、幼少期の思い出の一部かな。
ワカペディア : その味を思い出して、料理で再現しようとすることもあるんですか?
アン・ソンジェ: うーん、もう少し複雑なプロセスかな。味そのものを覚えているわけではなくて、その時感じた感情を覚えているんだ。祖母の料理を手伝っていた時の体の温かさや、彼女の動作、僕達のつながりを覚えているという感じかな。日本料理にインスパイアされた料理を作る時、その思い出と祖母と共有した愛情を料理に込めようとしているんだ。
ワカペディア : 感動的なエピソードで涙が出そう!それでは最後の質問です。お二人にとってアートとは?そして料理は、アートですか?
アン・ソンジェ: 僕は自分をアーティストではなく「職人」だと思っているよ。確かに星付きシェフは素晴らしい料理を作るけれど、食べ物はただ見たり議論したりするものではなく、舌を満足させるためのものだと思うんだ。
ルカ・ファンティン: 僕は特にアートに興味はないけれど、食材を感動の源に変えることができることに関しては、アーティストであるのかもと少し感じるよ。まるで、食材に第二の命を与えるようなものだね。
ワカペディア : つまり、ほんの少しアーティストであり、ほんの少し神様みたいな感じですね!(笑)
Description & Interview: Sara Waka
Edited by: Wakapedia Japanese Team